なるみと読む徒然草
第百二十七段 こころに刀を入れる
令和8年10月18日(日曜日)晴れ
午前8時20分 フシハラ円座
【原文】
改めて益なき事は、改めぬをよしとするなり。
【現代語訳】
改めたところで何の益もないことは、むやみに改めないほうがよいのである。
【なるみと読む徒然草】
今日は、たった一行である。
しかし、一行故に、力が籠もっている。
兼好法師が生きた鎌倉末期から南北朝へ向かう時代は、社会の秩序が大きく揺れ動く時代であった。
既成の権威や価値観が揺らぎ、婆娑羅と呼ばれる新しい風潮も現れてくる。
そんな時勢の中で、兼好さんは何を見、何を感じていたのだろう。
急速に変わる世の中に、ため息が出たのか。
それとも、一言を呈したかったのか。
もちろん、具体的な事情は分からない。
しかし、この一行からは、苦虫を嚙み潰したような兼好さんの姿が浮かんでくる。
気楽な隠居の処世訓とは、少し違う。
世の中の出来事に直接関わり、思うところがあったからこそ、独語として書き留めたのではないだろうか。
一行に押し込めたから強い。
こころに刀を入れたのである。
言いたいことは山ほどあったのかもしれない。しかし、それ以上は書かない。
書くことで、自らの気持ちを収めたのだろうか。
【行間にある主題】
日本の文学には、すべてを語り尽くさず、行間に思いを託す表現がある。
この第百二十七段も、そのように読める。
何を改めるのか。誰に向けた言葉なのか。
兼好さんは具体を記していない。
だからこそ、読む人それぞれの経験が、この一行に重なってくる。
こころに刀を入れた経験のある人なら、その厳しさを感じ取ることもできるだろう。
しかし、それは誰もが同じ解釈に至るということではない。
書かれた言葉は一つでも、そこから生まれる言葉は、人の数だけある。
共感のシェア。
それが、時代を越えて古典を読む楽しみでもある。
【一部保守、全体は革新】
今朝の円座では、日本の歴史のあり方にも話が及んだ。
日本は島国でありながら、大陸からさまざまな文化や思想を受け入れ、それらを独自に組み替えながら歩んできた。
その歴史を、保守か革新かという二律背反で捉えることはしない。
一部保守、全体は革新。
歴史は単純な直線ではなく、螺旋状に組み替わりながら展開していく。
変わることと、変わらないこと。
それらは必ずしも対立するものではない。
兼好さんの「改めぬをよしとする」という言葉も、単純な保守思想として片づける必要はないだろう。
【今日の円座を終えて】
たった一行の文章である。
その一行に何があったのか、私たちには知る由もない。
すべては想像の域を超えない。
しかし、だからこそ、人それぞれの言葉が生まれやすいのである。
兼好さんの独語が、七百年近い時を経て、今日の私たちの暮らしの中に響いてくる。
そこに『徒然草』を読む面白さがある。
一行に押し込めたから強い。
こころに刀を入れた。
今朝は、この二つの言葉を残しておきたい。
兼好さんの一行に、私たちの人生が出会った朝であった。
令和8年10月18日
フシハラ円座
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