なるみと読む徒然草 第三十八段
読んだ場所
名利のために閑かなる暇なく一生を苦しめる愚かさから説き起こし、金玉、車馬、そして名誉すらも身を煩わせる媒に過ぎないと説く段。「本より、賢愚・得失の境にをらざればなり」の一節へ。
今日たどった道筋
方丈記の「にはかに都うつり」との響き合いから始まった。外から奪われる無常と、自ら唯物に時間を差し出していく無常——その対比。
中心に据えたのは「本より、賢愚・得失の境にをらざればなり」の一節。世間の声を偽りとも真とも判断しない在り方は、中庸ともバランスとも違う、次元そのものが違う位置だという博之さんの言葉から、「来訪者」という言葉が生まれた。
長明も兼好も、彼岸から此岸を眺める来訪者だった。けれど博之さんは、それとは違う——来訪者でありながら、この時代にグラウンディングをしに来ている。その具体的な形が、陶芸。土という最も物質的なものに触れ、形を与え、この時代に確かな跡を残していく。境の外にいながら、境の中に深く根を下ろす、という両立。
一字
境
一句
本より、賢愚・得失の境にをらざればなり
陶主日記
今朝は方丈記から徒然草へと、無常の糸が繋がっていく朝だった。福原遷都に見た「なすすべもない無常」から、名利に囚われて己の時間を差し出す「自ら招く無常」へ。
「本より、賢愚・得失の境にをらざればなり」——この一句を巡り、中庸でもバランスでもない、次元そのものが違う場所という話になった。来訪者、という言葉が浮かび、そして気づく。自分は、ただの来訪者ではない。この時代に、土を通してグラウンディングをしに来た者なのだ、と。
50年、土に触れてきた。それは境から離れることではなく、境のないところに根を下ろすための、静かな営みだったのかもしれない。
なるみのことば
境を離れ、
土に還る。
来て、
根を張る。
それだけの、
一生。
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