2008年 12月 の投稿一覧

感謝のいちねん

こんばんは。今年も最後の一日となりました。やっと我れに帰り、ブログの原稿に向かっています。8月からこの様に原稿を書くようになって、この二時間が本当に有意義な時間となっているんだな、と思われます。反省多き一年ですが無事今年もここまでやってくることが出来ました。自他ともに、感謝申しあげます。やはりこの時期になると、自然と感謝の心が湧いてきます。良いも悪いも含めて、この一年を司ってくださった神々さまに感謝申し上げます。「良い悪い」を言っているのは私どもの判断する心であって、現象自体に善悪はないと思っています。今年の色々な出来事も振り返れば最後に感謝のところに落ち着いて来ます。

tokusamesi.jpg色んな事があって、たとえマイナスなことだらけでも、やはりこの一年を生きたということは誰もが尊い経験だと思います。作家の五木寛之さんが何年か前にラジオで、リスナーに相談をされていた話です。その若者の相談に「今の時代、ただ生きていくというだけで大変なことです。それ以上の事をされなくても、生きているというだけで十分意味があります。大丈夫です。」そんなお話だったと思います。深く聞きいっていました。

時代がいつの間にか人々の営みや、暮らしを切羽詰まったようにおとしめているように感じているのですが。そんな思いで何年も過ぎて行きましたが、とうとうやって来るものがやって来たと思います。いのちを真剣に見つめ、考えて次の来るべき時代を共に創造していきたいと思っています。本年も有難うございました。皆様のよきお年をお迎えくださる様、心からお祈り申し上げます。

河合寛次郎先生の詩 「仕事」

こんばんは。今年もいよいよ暮れて行きます。余すところ後二日。今日は午後から終い窯の窯出しでした。一時に皆さんが集まられ、作品を取り出しました。上々の焼き上がりで、笑顔を持って感謝されていました。これで今年の工房での仕事は、終わりました。本年も有難うございました。色々な宿題が有りますが、楽しみな仕事にして行きたいと思っています。仕事という言葉で、ふっと思い出したので、ここで紹介いたしましょう。

呉須辰砂丸文草花図角瓶 民芸運動の代表的作家、河合寛次郎先生の詩です。

仕事

仕事が仕事をしています  仕事は毎日元気です 
出来ないことのない仕事  どんな事でも仕事はします
いやな事でも選んでします 進む事しか知らない仕事
びっくりする程力出す    知らない事のない仕事
聞けば何でも教えます   頼めば何でもはたします
仕事の一番すきなのは   苦しむ事がすきなのだ
苦しい事は仕事にまかせ  さあさ吾等は楽しみましょう

またこんな詩も有ります。

美を追わない仕事 仕事の後から追って来る美

京都五条に居を構え、大きな登り窯でユニークな作品を数多く作られた先生は、多くの後継者に多大な影響を与えました。特に釉薬を自在に使って、今までにない傑作を多く生み出しました。

この詩は力強く、またどこかおおらかなユーモアに溢れています。この頃の世の中はちまちましたことが多く、些細な事で人生を棒に振るような出来事をよく耳に致します。魂にごつっと響くような、そんな仕事で有りたいと望みます。

忙中閑あり、今年を思う

色絵紅白梅4寸皿よりこんばんは。昨夜から続いていました窯焚きも無事午後5時に終了いたしました。これで今年の最後の窯で、明日は工房も御休みにして、29日月曜日に生徒さん達が午後から集まって、窯を出す予定です。年始に仕事が入って来たの、今日の内に片付け出来るところはサッサッと、体裁よくあまり深追いしない程度の片付けで今年は終わりにします。と言っても工房はかなり広いので、やり出したら恐ろしく手間が入ってしまいます。

明日は、夕方から年末恒例の「飲み会」です。一年に一度ジャズ好きが集まり、日々のあれこれを肴に、まあ、単なるオジサンたちの飲み会です。35年続いているのですから、私にとっては伝統行事の様なものです。集まる方々も60に手が届くようになって、昔の様な飲み方はできなくなりました。いたって健康を気にしながら、酒より食い気で時間を過ごしているという様になりなした。といっても皆さんなかなかのものですが。

今年はHPで明け、ブログで終わる。そんな一年でした。ウェブ上で私どもの名前が大きくアピールされてきました。品物をなんとかHPで売りたい一心で、今年はやって来ました。ここでの仕事を皆さんに知ってもらいたい、自分たちが作った焼き物を広く使ってもらいたいと願って始めたHPですが。全くの素人が何から手を付けていけばいいのかも分からないまま、コンサルタントもいれ、学校にも行き、プロの写真家にも作品を撮って頂きました。あれこれと、かなりの勉強はしてきました。仕事をしながらなので、時間配分がうまくいかなく、諦める訳にもいかず、今もそうですが、生活の時間割が全く変わってしまいました。しかし私は今の生活時間が案外面白がっています。ブログは何とか毎日更新していきたいと思っています。色々な方と触れ合うことは、大変興味があり、思わぬ情報が入って来て、世間の動向がより深く分かることも面白さの一つです。PCは少し遠ざかっていましたが、今は生活必需品になっています。文章を二時間考えることが毎日続いているのですから、きっと大きな変化がやってくると思っています。

本年も残りわずかですが、忙中閑あり。忙しさの中で見えてくる今年の自分があると思います。今日も片づけしながら、その様な事が思われました。

愛の星

こんばんは。イエス・キリストの誕生日と云われている聖なる日。皆様如何お過ごしでしょうか?以前は京都の修道院に足しげく通っていたので、この日はイブの日から泊まり掛けで、祈りに満ちた時間を頂いていました。聖歌を歌い、お説教を頂き、聖火点燈の儀式に参列して、クリスマスを迎えていました。旧約聖書にアシュアの木のお話がありますが、耐え忍ぶ教えが象徴として書かれていた様に思います。昨日もお話いたしました様に、時代は大きな転換期を迎えました。人類が進歩するにはどうしても通過しなければならない、痛み多い世界がこれから始まるでしょう。イエスが耐え忍んだように、私たちもこの産みの苦しみに耐え忍ぶ力を、クリスマスのこの日イエス・キリストにお祈りしなければならないでしょう。

地球は愛の星と云われています。愛を体験するために私たちはこの星に、自ら望んで生まれてきたと言われています。だから私たちには愛の結晶が心の中に埋め込まれているといわれています。

仏教に法華経という経典がありますが、この中に衣裏繋珠(えりけじゅ)の譬えがあります。仲のよい二人の友達がいました。一方の友達が彼の元を去って遠国に旅立つ際、彼は友達の衣の裏に、密に高価な宝石を縫い込んでおきました。こうしておけば友が愈々困った時に役に立つだろうと思ったのです。長い年月が過ぎ、乞食の様に落魄した友が故郷に帰って来ました。友達は、衣の裏に大変高価な宝が縫い込んであるとは露知りませんでした。そこで、彼はその友に「あなたは宝を持って乞食になり、諸国を流浪していたのです。」と教えて上げた。というお話です。

この譬えはイエスの聖霊を暗示しています。聖霊は愛と云われています。私たちはこのお話のように「愛の打ち出の小槌」を持って、人生の旅をしているのです。その気づきをクリスマスに発見する意味は深いと感じます。

人類はたった一つの言葉で繋がり、一体になることが出来ます。キリストの愛、聖も濁もない一つの愛。聖なる夜、静かな祈りの時間が過ぎて行きます。

寒波到来

今日は風が強くへんに暖かいですね、雨が来て寒くなるのでしょう。一昨日京都の窯業訓練生から、一度見せて下さいとの電話連絡がありました。工房で働かせてほしいということですが。夏の終わりごろにも京都のこれは専門学校の生徒さんですが工房に見学に来ましたが。このご時世思った就職は、普通の会社員でさえ難しくなりました。ましてこの業界は2000年以降景気のいい話を聞いたことが有りません。まあ、どこの窯業地も斜陽の傾向ですので、こんな僻地に尋ねに来るのでしょうが。

個人作家も淘汰の時代に入っています。少し前は食器を作っていれば何とか食べていたのでしょうが、食器も今年は大変な状況です。私どものお取引しているところは、高級食器の販売店ですが、ここでも淘汰が始まっていると感じています。小ロット、ハイクオリティー、ハイスピード。所謂完全に量産のものが無くなってしまったということです。だから工場は廃業していきます。若い人たちが働ける場所が無くなったということです。工芸の危機どころの話ではありません。やって行けないのですから、技術継承が途絶えてしまいます。

これはこの業界だけの話ではありません。世界、いや地球規模で大きな変革が起こっています。どう対処するか?なんてそんな次元の話ではない様です。

私は今までの枠組みが無くなってしまうので、ならとことん好きにさせてもらおうと思っています。古い既成概念ではやっていけないのですから、一つ自由になったと思っています。この時代をもしかしたら待ち望んでいたのかも知れない。そんな風に感じています。 どこか「希望」という言葉がこころの深いところから聞こえてくるのですが。

仕事を一つ一つ前に進めていきます。この仕事が面白いと感じる者は、自分のポジションで自分なりに一緒に歩いてくればいいではないかと思っています。弟子は取りませんがそんなものでしょう。教えて出来るというものでのありませんので。

「ぶりぶり香合」原型制作

工房は雑用に追われて午後遅くから、続いています、「ぶりぶり香合」原型作りをしました。ほぼ完成に近づいているのですが、身と蓋の接合部分をこれから調整しながら、合わせていきます。まだ、少し時間が必要です。今回の原型作りで「ぶりぶり香合」は大体手の内に収まりそうです。前回(平成18年)は何が何だかまとまりの付かない状態で納品してしまいましたので、大きな宿題を頂いてしまいました。何がなんでも今年はスッキリと納めてしまいたいと思います。一つ一つ片付けて前に進めたいですね。


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乾山陶器の土テストを仕事の脇に置きながら、いつも眺めています。これもいつものことですが、ようやくイメージが固まりだしました。乾山の前に、むしろ仁清の「ひよどり香合」などに、この土は合うかも知れないなあ、と考えを振っています。与えられてくるものと、自分がイメージしているものとは若干ずれがあるものです。時間を掛け色々な角度からテストを繰り返しイメージを膨らませます。すると今まで合わないなあと思っていたものが、違う場面から妙にうまく合って来たりするものです。私は考え試して出てくる結果に、不必要というものが無いといつも思っています。ただ自分が未熟なだけで、それを読み切れなかったり、使う場所を間違っていたりするだけだと思っています。何年も掛けて作っていく仕事ですので、少しづつですが確実に形にして行くつもりです。

今年の仕事もその繰り返しでした。一滴一滴たまり醤油が濾過され溜まっていくように、私たちの仕事も目には見えない創造世界に蓄積されています。

京焼概念

ぶりぶり香合の原型を仕上げようと一日掛けましたが、新し資料がでてきたので今作っている型の検証をしました。大体のラインは決まっているので、少し調整を加えてみます。

30年40年前の資料から、形状を割り出しましたが、今の写真は鮮明で綺麗なので、微妙なディティールもイメージし易く、これなら自分の形と本歌が一致し始めました。どうしても、初めに見たサンプルが、イメージに刷り込みされてしまうので、気を付けているつもりですが知らず知らずに形がずれてしまいます。今回はかなり経験を積んだので、素直な形がやっと出てきました。胸にストーンと落ちる形になるまで、どこか気分の悪いものです。もう少し時間を掛けて、狂いのない原型を作りたいと思って居ります。

一つ一つの形を攻め込んでいくと、仁清の息使いが知らず知らずにこちらのイメージに写ってきます。バイブレーションなのでしょうね。作品には波長、またバイブレーションがあって、それと共鳴し易い人や、そうでない人がいます。私はどちらかと云えば、今の仕事、「京焼」はとても共鳴し易いと感じています。乾山の仕事を見ていると大変近しいものを感じます。柔らかみのある、どちらかと云えば肉感的な線と感じられますが、と言って造形はしっかりと筋が通っています。しかしその芯の強さを全く感じさせない作品が多くあります。仁清の柔らかみある作品には、「理性」の抑揚の効いた轆轤、またそこをうまくデザイン化されたものが多くあります。

ぶりぶり香合もその代表的な作品でしょう。ややもすると、知性や理性というものは、作品に固さを伴うものですが、そこをいかに越えたか、いかに自然な抑揚を身に付けたか、興味のあるところです。

仁清の轆轤技を見ると、彼が誠心誠意努力し、この抑揚の効いたセンスあふれるラインを獲得した事がよく感じられます。私も若い時分は、到底この意味が理解されませんでしたが、この何年間京焼を写すことで、奥の深い世界を垣間見ることができるようになりました。もっと、この世界を味わっていきたいと思っています。


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冬の暖かな満月の夜

きれいなお月さまが高々と昇って来ました。町暮らしでは到底経験することもないでしょうが、月明かりで、山道が皓々と照らされている風景は、鳥の声もない静かな、また不気味な不思議な世界が現れます。

工房はぶりぶり香合の原型作りですが、午後から金曜日ですので、陶芸クラブの指導に出かけました。来週で今年最後になるのですが、いつものことですが出席が少ない状態でした。また、7時から出かけます。


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乾山陶器の土見本

乾山陶器の土見本が焼けています。窯の根、中、天にそれぞれ見本を置いてみましたが、根の部分は酸化で焼けていますが、天のところはどうしても還元状態になります。赤土をブレンドすることで、どうしても還元が掛かりやすくなるのです。白い土だと還元が掛かっても、分かりにくいのでしょうが。この結果はもう少し考えなくてはならないでしょう。 やはり、窯を変えて焼いてみたいと思います。とりあえず形にしてみたいと思う土を決め、一窯当たりを付けた作品で一度焼いてみたいと思います。


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雅という符号

工房はぶりぶり香合の続きですが、昨日削り仕上げした物が乾いてきました。やはり歪みが出てきました。口の面がうまく合わないので、思案しています。一旦乾かしきってから修正をかけるのでしょうが、生の状態で身と蓋を合わせても、焼くとまた違った歪みが生じるでしょう。肉厚が問題になるのでしょうか。色んな角度から検討していかなくてはならない仕事です。じっくり腰を据えて研究いたします。

仁清 香合この様な小物でも、仁清陶器はどの様に作ったのだろうかと深く考えさせられる作品が多く有ります。一つの作品に仁清は一ひねりも二ひねりもしてくるので、単純にかかって行くと大きな落とし穴があります。これは古清水も言えることですし、乾山にも言えることです。他の窯業地にはあまり見られない独特の仕掛けが色々と施されています。やはり都の持つニュアンスの複雑さ、掛け言葉などで飛躍させるイメージなど、一筋縄ではない、手の込んだ仕掛けが散りばめられています。

京都の持つ独特の文化が仁清陶器に色濃く仕組まれていて、そこを読み解きながら進めていく仕事だと、痛感しています。奥が深いというのはそのことを全て含めて、理解が必要だと感じています。やっと、その入口の存在に気づいたという段階で、まだまだ鳥羽口にも立てていない状態を感じています。

しかし、一歩一歩ダビンチコードではないけれど京都という雅という暗号めいた世界を解き進んで行きたいと思います。