ゆらぎの感性

ゆらぎの感性

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こんばんは。春のはしりによくある寒の戻りも今回は長くは続かないようで、この寒さを超えるともう寒波は来ないという話です。三月の中頃には桜が咲くのではないでしょうか。季節に追われながら進める仕事にとってはいつものことながら、てんてこ舞いさせられることでしょうね。少しでも急いでいきましょう。

工房は昨日の続きで窯焚きの用意をしました。午後6時には火が入り、少し早目なのですがあぶりを開始いたしました。今回は十草の飯碗を主流に焼くので、いつもより低く焼き上げたいと考えています。呉須と鉄で交互に描かれた細い線は、釉薬の厚みや焼成温度で微妙に調子が変わります。今使うこの呉須はこの樫灰の釉薬では少し泣くので(釉薬に反応して線が揺らぐこと)線がぼけてしまいます。特に口もとの線が細るのでそのことを避けたいと思っています。温度が上がると融けもその分進むので、線の揺らぎを避けて焼き上げたいと思います。

「ゆらぎ」という言葉が出てきましたが、私はこの言葉を大切に扱っています。陶芸ではあまり使われませんが、一種のバイブレーションによって発せられる「気持ちよさ」みたいなものです。この世界でよく使われる味という言葉でくくられるのでしょうが、「ゆらぎ」にはもう少し違った意味を私は持たせています。超振動より伝わってくる感覚と言えばいいのでしょうか。焼き物には釉薬と素地の間に、釉薬でもないまた素地でもない、「中間層」という独特の物質があります。この中間層が大きければ大きいほど、独特の焼き物感が生まれます。それとはまた違うのでしょうが、空間に溶け込んで、稜線が甘くぼやけている感じをイメージしています。

その様な陶器を作ることが出来たら、古来より言われる「雅」にも通じていくのだと思っているのです。彼岸と此岸の間を超高速で行ったり来たりしている感覚です。日本でしか生まれえない世界だと感じているのです。このお話は作品を元に進めていきたいと思います。

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