工芸今、秋色

工芸今、秋色

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おはようございます。今日は久しぶりに朝からすがすがしい天気に恵まれています。台風が過ぎる、気が付けばすっかり秋になっていました。蝉の声が遠のき、草むらの虫の音が心に沁みて参ります。

日本の陶器は世界の陶器から見るとかなり異種的です。季節感がてんこ盛りです。小皿一枚にも四季の花鳥風月が描かれていて、こんなに丁寧に季節を生活に織り込んでいる陶器も珍しいと思います。日本人はよく、目のご馳走と言いますが、ただ単に煌びやかなものを指して言っているのではなく、移ろいやすい四季折々の風情を細やかに表現されている品物をもって、この言葉が使われるように思います。

私たち日本人は工芸品に、見て触って味わって、またそのものを所有する喜びを求めています。移ろいやすい自然を自分の心の中で所有したい、自分の思い出をパッケージしたい。生活の折々に思い出の品を使ってみたい。数寄者と言われる根源は誰でもが持っているのではないでしょうか。

日本の工芸の特徴に「時間」がうまく描かれています。その時間の感覚を「妙」と表現したりもしているように思います。妙味とは、お皿ならお皿がまるで時空をこえて生き生きと生命をもって動くさまを感じることだと思います。

工芸にとって重要な言葉に「用」があります。用の美、柳宋悦先生が提唱された工芸の根本理念の一つだと思います。それをただ単に使いやすさなどと理解されると少し違った方向に行くように思います。日本人は用をもっと深く捉えていました。仏教でいう仏の働きを指していたようです。自己を消し自然と一つになり、仏の働きそのものになる。自利利他の働きと言えばいいのでしょうか。その働きが美の根源だというのです。

単に自然を描けばいいというものではないでしょう。草木に風が吹く。懐かしい父母の移り香が匂う。そんな一枚の皿に人は自分を見ることができるのではないでしょうか。物を手に入れる、それは自分自身を手に入れることだと思うのですが、いかがでしょうか。

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