工房から思う、7月7日

工房から思う、7月7日

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お早うございます。今日は7月7日、七夕ですね。あいにく雨模様で、といっても、この時期青空を仰ぐ方がまれなのですが、一応常套フイレーズを使ってみましたが。

今年の梅雨は局地的に大雨を降らしています。今まで何ともなかった空が突然大雨になるというケースが多く見られます。一瞬にして目の前のものが変わる、普段の有り様が突如として危機に陥る。震災以後多くのものの価値観が変わりはじめました。
安全、安心の「神話」好きの我々は日々のリスク管理は大の苦手。親方日の丸にどっぷり浸って、みんなでリスクにふたを閉め、リスク解決を先送り先送りにして、どこか心に不安を抱きながらも今日まで過ごしてきましたが、とうとう来るべき時が来たように思います。

今、政治のダイナミックな力が必要とされる時に、私たちが見る政治家の姿は不安定なトンチンカンな絶望的な国会の姿です。それは国民の不幸、世界の不幸、人類の不幸です。そんな姿を見せられて、国民は憤りを通り越し、やり場のない悲しみに陥ります。被災地の方々に「頑張ろう。」なんて言えない。頑張るのは私たちであって、政治家のみなさんじゃあないのでしょうか。

日増しに明らかになる、原発、放射能汚染を見ていると、心から憤りを感じます。安全神話が作られた過程を報道番組で見聞きいたしますが、私が幼いころから始まった、また小学校でも教えられた、原子力の平和利用という政策を推進していくのに都合よく、プラス安全神話が作られていく。今回東電関係者が発した、想定外という言葉に神話の空しさ、関係者及び政治家の自己保身、国民への偽りが、この期に及んでもなお、という思いでいっぱいになりました。かの大本営発表となんら変わりがない。戦後66年、日本は変わったのか、堕落したのか。問われるのはこれからの私たちの行動だと肝に銘じております。

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