弥生満月に思う

弥生満月に思う

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三月も慌ただしく過ぎていきます。気が付くと月も前半を終わろうとしています。二月は逃げる、三月は去る、なんていうことも聞きますが。毎月10日はメルマガの発信日なのですが新作がなかなか紹介出来ないでいます。この頃の私はどちらかと云えば寡作になってしまいました。以前の様に雑器も作ってみたいと思いながらもその様な時間の余裕もなくなってしまいました。時代が逆転しているのでしょうか。今の私にとって雑器の方が高級になってしまうのですね。手間と値段が不釣り合いのいなって、今の私では雑器にならなくなるのです。

この地で焼き物を始めた思いの一つに手作りの雑器をたくさん提供したい、喜んで使ってもらいたいという思いが有りました。民芸思想の影響も大きく働いていたのでしょう。若さ故健康的で明るく普段にも使える手作りの食器をテーマにして励んでいました。工芸の持っている健やかな一面だと思います。時代がこの精神と合っていたのでしょう。面白く自己実現に向かって進んでいた様に思います。今日も工芸学校の学生さんから工房見学の電話が有りしたが、就職という形では到底物にならない事を伝えました。その子たちを育てる余裕が今の工芸界にはないのでしょうか。どこの窯業地も今はひっ塞状態でしょう。デフレで何を作ればいいのか先行きが見えていない。と云って職人さんはいずれ世代交代をしなければならない。若い人を今こそ育てておかないと今後工芸は太刀打ちできなくなる。私たちも後継者を今のうちに育てたいと希望はするのですが、私たちの条件に合うとなればかなり厳しい選択になることでしょう。それでもスキルを身につけたいというのであれば、どうにかやりくりを考えて必死にならなければやっていけない状態です。それでも何年も掛けて仕事が出来るまでには、相当物を作り込んでいかなければいけません。この様な苦しい工芸界でそれでもやっていこうなんて思う若者は何か使命感のようなものがなければやっていけないと思います。御両親がよっぽど奇特な方でよくよくそのところが分かっておれるか、そんな若者がこの世にいるとは考えられません。砂漠に落とした針に宇宙から糸を通すようにものです。

今の時代はどの世界も専門的でより高度な技術が要求されて来ました。これは一種の篩なのでしょう。諸先輩方の中でも消えていかれた方も多く見かけます。日々より高度なものを開発していかなければ、今の時代到底ついていけなくなります。この時代はまたとてつもなくスピーディーで工芸が持っている牧歌的な時間ではついていけないのが現状です。しかしそこにも生きる道がある様に思うのです。団塊世代の層が薄くなってきたことで、私たちは少し視界が明るく感じられて来ました。この時こそ自分たちの持てる力を振り絞って未来に一歩、進んで行きたいと思っています。

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