2009年 5月 の投稿一覧

一つのいのち

こんばんは。山の緑が日に日濃くなってきました。山帽子の白さが際立ち始め、梅雨も近づいてきたようです。昨日妻が早くもササユリを採って来て、こんな小さな蕾でも咲くのかと思うほどですが、早速花瓶に活けていました。三センチ足らずの蕾が咲くには、三週間くらいかかるかも知れません。楽しみです。

六月の楽しみは咲く花がいい香りに満ちていることです。今日もそんな話をしていると、それは昆虫を呼ぶためでしょう、と言うことのようです。間のなく田植えも始まり、色々な生き物が豊富に出てくる季節です。私はこの季節が最高に好きです。植物、昆虫、小動物、色々な生き物が我が家にやってきますが、何とも共に生きている感覚になって、命が一つになることができます。間のなくホタルも飛び交うでしょう。六月は楽しみの多い季節です。

幔幕の深向こうを再度挑戦しています。前回の窯は陣立てに問題があって、火の引きが悪く、いったん目的の温度近くに達したのですが急に温度が下がり出し、頑張って相当な時間をかけ我慢しながら焼き切ったのですが。還元がかかり、わずかな所で酸化に戻ってしまいました。色々反省するところがあるのですが、いつものことですがどうしても通過しなければならない失敗というものがあるようです。

何とか最短で成功させようと思う意志と裏腹に、失敗にはまっていく形というものがあるようです。抵抗しきれない運命を感じる瞬間です。

窯焚き

こんばんは。今週もまた始まりました。昨日に続き初夏を思わす好天気です。日曜日は実家に行って、両親とともに過ごすようにしています。月曜日に戻ってくるととても工房が新鮮に思えます。工房も曜日によって違った顔になるのが面白いです。今日は午後から慢幕紋深向こうの釉薬掛けです。数は20個と少ないのですが、後の処理がなかなか手間入りです。すたっふMさんが手伝ってくれて丁寧な後始末が出来ました。今回も「耐火煉瓦小窯」で焼きます。
土曜日にこの窯を提供してくれた「藤原陶芸店」が来て初窯の作品を見て一言、「奇跡の様な焼けやね。」ですって。これはなかなか説明しにくいところなのですが、本来一発目にこの様な作品を焼くことが実は困難極まりないことなのでしょう。直炎式の窯なのでいくら小さくても、火前が有り、天井、根っこ、火裏がちゃんとあるのです。作品の位置が10センチも違うと焼け具合の違ってしまいます。この窯が昨年の暮れに入って、かれこれ四か月になろうとしても、考えが決まらずなかなか焚くことが出来ませんでした。イメージが出来上がるには相当の試行錯誤が必要でした。どうしても焼かなくては結果が出ないというところまで考えた末、出てきた作品だったので、私たちにとって有意義な結論でした。実はこの結果を導き出すには最低でも何回か焼きこまなくては普通出てこない作品なのです。初窯で出してきた事に、「奇跡」と云ったのでしょう。面白い話です。

この様な事は運命を決める重要な瞬間なのです。焼けるか焼けないかで大きく世界が違ってきます。今の私たちには何回も試行錯誤を積む時間はありません。一回で目の前の世界を開いていかなければなりません。キャリヤが生きるかどうか。やってきた事の積み重ねが生きたものとして実現されてくるのか、勝負どころとしては、大変面白いところです。

今日の慢幕紋深向こうはある意味勝負の掛かった、重要な窯になっています。慎重に窯詰めをし、先ほどから焼き始めました。明日午後二時頃には焼き上がる予定です。

「かろみ」の展開

こんばんは。ゴールデンウィークも後半になって来ました。好天気が続いているせいでしょうか、また高速道路も格安とあって行楽地は大変な混雑の様子です。といっても私どもはいたって平常で、たまに迷い車が入ってくる程度の静かな時を過ごしています。この連休を利用してか、休耕田になっているところに今年作付けをするのでしょう、遠くに耕運機の音が響いています。

工房は土曜日の続きで、慢幕深向こうの仕上げを終えました。手間のかかる仕上げにもここまで来ると何とか要領を得ることが出来てきました。30個の注文ですが、今回は20個の作りで、焼け具合で10個から15個くらいの納めと思っております。


京焼 慢幕文筒向

この深向こうの特徴は華奢な作りと極上の軽さにあります。深向こうなので持った時の感覚が大変重要になって来ます。また普段使わない器ですのでお箸の使い方がいつもの様な調子でなく、その事の面白みがこの器の特徴にもなっています。はっと驚く軽さがお料理に対する期待感を増してくれるでしょう。

用の美といいますが、この事は何も民芸の専売特許という訳でもありません。日本感覚の器を突き詰めていくと、おのずと行きつく世界がある様に思います。用美(ようび)は暮らしの創造というところに入っていくと考えています。茶の世界も然り。私の作る器は普段使いの器としてあまり適さないかも知れませんが、何もかもを削ぎ落として、唯いのちの鼓動のみが息づいている、そんな器を私は目指しているのです。