2010年 1月 の投稿一覧

新作に集中しています

こんばんは。暖かなまるで春雨のよう雨が降っています。夜になり山間のこの村はすっぽりと霧に覆われています。おぼろ月がこの時期に見れるとは。

もう一月も終わりになりますね。この一年の私たちがやるべき仕事がようやく見えて参りました。毎年の事ですが2月の立春までにはこの一年の姿が見えてくるように思えます。一月という月は昨年の気と今年の気が拮抗しているように思えます。工房の玄関にはまだしめ縄が上がっています。二月二日の夜にとるつもりでいます。節分が年明けと考えているからです。

季節の上では春になっていくのでしょうが、「春は名ばかり、風の寒さや、、、。」と歌にもあります。しかし確実に季節は変わり、どこか春の息ぶきを感じるようになります。プロ野球のキャンプインも始まり、何かと春の話題が多くなってきます。今年は梅の開花も早く、この分では鶯の初音も間近でしょうね。

工房は新作を中心に集中して進めています。土や形式にとらわれず、どんどん作りたいものを作るようにしています。HPの充実に力を注いでいます。来月初旬には多くの新しい作品が掲載されると思います。HPを通じ皆様とともに作り上げていく作品も面白く感じています。ウェブ世界の特色も少しずつ理解されてくると、仕事での絡みも面白くなってきました。もっともっと作品を掲載し皆様とお付き合いしていきたいと思うようになりました。多種多彩な作品、色々な話題、切り口を増やし、一つの作品にもより多くの意味が発見出来るよう興味が湧くHPを作って参ります。

今後ともよろしく御ひいき下さいますようお願い申し上げます。

新作に集中しています

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どんどん変わっていきますよ

こんばんは。またたく間に一月も一週間になってしまいました。正月の気分もすっかり消えて、今年の初めの様相がはっきりとしてきました。どうしようもなく、やっぱり厳しいと思いますよねぇ。どうしようか?ていう感じです。まぁ、いいですか?そんな、感じですよ。

うだうだと進んでいるのもいい加減にしてくれ!って、国民は思っているでしょうね。一昨日、私の市の市長選挙でした。40年も同じ市長が続くって、異常でしょう。大阪ですよ。ここは。民主主義が機能していないのですね。何ともお恥ずかしい限りです。それをギネスが認める長期市長だなんて。これって、誇れますか?不思議な市ですね。

副市長同士の選挙って、それも片方は選挙直前に90日免許停止の中、信号無視か何かで無免許で逮捕ですって。それでも選挙に出て戦うって?どうでしょうか。ドロドロの市民不在のおらが村の意地の選挙になってしまいました。明治時代かと思わせる市の実態ですね。悲しい。

国会も国民も今、そのような状況に置かれているのかもしれませんね。維新の会ですって。大阪府議員で橋本知事を推す会を立ち上げてそんな会を作ったそうです。

民主党も同じような発想で、維新を強調していましたが、はっきり明治維新はそんなにいいものではなかったと思います。中途半端な先の見えぬ、維新はしたけれどという感じでしたよね。不満武士の反乱のピークが西郷と担いだ西南戦争と発展していきました。

維新を唱えているということは、地方、また中央政権の反乱を起すということでしょうかね。いったい、どこへ日本を向かわせるということなのですか?どこに連れていこうというのですか?誰もその事について明確なビジョンを提示していません。そこに今の日本の悲劇があると思います。

悲劇で思い出しましたが、「日本の悲劇」でしたでしょうか、金子光春氏の文章が蘇ってきました。今日本が置かれている状況は、あの頃の精神状況とあまり変わらないとも思います。

今日工房は京焼に移り、千鳥紋のかわいらしい豆皿を作りました。どうも私どもはこの焼き物(古清水)が一番フィットしているようです。体質に合っているのでしょうね。面白く感じています。

どんどん変わっていきますよ

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工房はマグカップの削り仕上げ

こんばんは。2012年が騒がれて久しくなってきましたが、このような天候が続けばさもありなんとも思われてきますね。2010年今年フォトンベルトに入ったとも言われていますが、真相は誰もわかりません。ブッダの弥勒の予言、キリストの復活、1000年王国等々、、、。精神世界では多くのことが語られていますが。

日本という国は多くの謎を秘め、世界の精神世界ではキーパーソン的な役割をしていると聞きます。特に今年はそのことが顕著に現れてくるとも言われています。このタイミングで昨年政権交代が行われて、今なんだかんだと政治と金の問題で国会も重要な案件がすっ飛んでいる事をみると、はたしてこの国がそのような重要な使命を担っているのか怪しくもなります。

年が明け20日が過ぎました。いよいよ本年の姿が見えてくるような感じになっています。自然は相変わらず安定を欠き、ハイチの大地震で本年も始まりました。これも我々人類の心理に大きく係わっているのでしょう。我々は大きな動揺を感じています。本当に人類はアセンションをクリアー出来るのでしょうか?この時代に遭遇しアセンションを経験することは私たちの魂に大きな意味をもたらします。

核兵器が何故悪なのか。何故地球から廃絶しなければならないのか?誰も明快な言葉でその答えを言っていませんが、核兵器は人類と云わず地球上の生命、また地球と大いに関係する太陽系宇宙、それにとどまらず輪廻を含め生命の宇宙的循環に大きな損傷を与えるからです。核はズバリ魂を破壊してしまう唯一の兵器だからです。

私たち日本人はこの兵器でどれだけの損傷を負ってきたことでしょうか。その因縁はどこから生まれどこからやってきたのでしょうか?私はそのことを深く思います。21世紀になり隣国に今までにない核の緊張が存在するようになりました。世界を見ると各地に核の緊張が増大しています。アメリカやロシア、フランスは言うに及ばず、イラン、パキスタン、インド、中国、北朝鮮等々。今、人類に何が起こっても不思議でない状況だと思います。このような危機的状況から人類は本当にアセンションに耐え、1000年王国、弥勒の世を迎えることが出来るのでしょうか?

2010年一月、ついついこの様な事が気になりブログに書いてしまいました。今日の工房はマグカップの削り仕上げをし、そのあと取手を付けました。HPからの問い合わせが色々とあって、私たちの仕事が皆様と繋がっている事に感謝しております。

制作風景

工房はマグカップの削り仕上げ

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片口鉢の削り仕上げ

こんばんは。三寒四温でこの二、三日は穏やかな日が続いています。青空が澄んで燦々と日が注ぎ、轆轤場から見える陽だまりに小鳥のさえずりが聞こえてきます。静かな山間の工房は新年の晴れやかな風景が今も続いています。 

松に梅、2月に入るとまもなく鶯の初音が聞こえてきます。明日から暦の上では大寒に入りますが、本格的な寒さはこれから始まります。しかしその寒さの中に春の息吹がそこかしこに感じることが出来ます。梅一輪ほどの暖かさ。寒風に咲く梅をこよなく愛する人がいます。微かな梅の香りがその人の境遇に高貴な品格をもたらしてくれます。それは、がんばれ、とは言いません。その寒さに咲く花が、ただ匂い立っているのです。

さて、今年はどのような年になるのでしょうか?日本全体がまだまだ委縮しているように思えます。毎日流れるニースもじっと耐えながら聴くことしか出来ない内容です。残念ながら出口はまだまだ先のようにも思えます。昨年{淘汰の時代」という文章を書きましたが、今はみんなで耐えているという状況に思えます。どこまで耐えられるでしょうか。

今日工房の仕事は片口鉢の削り仕上げをしました。地味ですがコツコツと品数を増やして参ります。季節が変わるころにはHPも充実させておきたいと思っています。

制作風景

片口鉢の削り仕上げ

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震災15年を思って

こんばんは。一月も早半ばを過ぎました。各地に大雪をもたらした寒波も東に去り、今日は一日穏やかな日曜日になりました。暦を見ていると二十日が大寒ということで、寒さの一番底ですね。この冬予報では暖冬ということでしたが、昨年末から集中豪雪の様相です。夏と云い冬と云い寒暖の差が激しく、人の世もまた激変の大波にさらされています。

今年は阪神淡路大地震から15年ということです。1995年は、日本国が「地割れ」をしたという印象をもった一年でした。オーム真理教の地下鉄サリン事件。宗教という蓑に隠れた国家テロに対する恐怖。政府の危機管理の曖昧さ。等々が露呈された一年でした。戦後築いてきた「神話」が、まるで旧約聖書のバベルの塔のように、われわれの心から崩れ去って行ったように思われます。あのときから長く日本は彷徨ってきたように思われます。

21世紀に入り間もなくアメリカの同時多発テロが起こりました。貿易センターが崩れる様子は、この世のものとは到底思えない光景でした。その後、アメリカは一方で莫大な戦費を使い中東に戦争を仕掛け、国内ではサムプライムという誰が考えてもおかしな投機に、なだれを打ってばく進していきました。そして一昨年、アメリカ発経済危機を起こす羽目になりました。そしてオバマ大統領の誕生となるのですが、、、、、、。

この15年を振り返れば、何か5年置きぐらいに大きな節目がある様に思えます。国内では昨年ようやく政権が交代しました。新年明日から国会が始まりますが、民主党は小沢疑惑事件でどのような国会運営をするつもりなのでしょうか。小沢さんがあれほど強く言い切るには、よほどの覚悟があるのでしょうか。田中ロッキード事件の怨念とも受け取られていますが。説明責任を果たしていないとかなんとか言いますが、真相は実はどうにでも解釈されるようなことではないのかとも思います。民主党大会の鳩山首相の発言も尋常でないように思いますが。もっとドシッとした国家ビジョンを見せてほしい。その様に願っているのですが、どうもワイドショウ的で、軽々しく思えてなりません。

工房は今日はお休みですが、先週色々な食器を轆轤挽きしたので、写真で紹介するつもりでしたが、つい色々と書き始めるとこんな風になってしまいました。今年のテーマは「原点回帰」より多くの食器を提供できるよう頑張っていきたいと思っています。

震災15年を思って

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ぐい呑みの削り

こんばんは。昨日は成人式で町は華やいでいたそうです。私は山の工房にこもりっきりでその様子は娘の話で伺うばかりです。昨今少子化でどんどん若者が少なくなって来ています。日本社会の大きな問題ですね。未婚率が高く、私の周りにいる若者(?)達も一人でいる方が多くいます。むしろ結婚しているほうが珍しいという状況です。私が住んでいるところは世帯数8軒、人口25人。若者6人。比率からいえば多いほうかも知れませんね。 (笑)

こんな過疎の村にブロードバンドがやってくるということで、その説明会が会館で行われました。11年に地デジが始まるというのに、ここはその対象外の地域でした。大阪府下でこの地域だけが光ファイバーから見放されていましたが、ようやくその整備に予算が付き、この3月にはとうとう入ってくることになりました。もちろんこの村でHPを持ってウエブを活用しているのは私ところ一軒なのですが、いくら光がやってきてもその恩恵を十分活用するにはかなりの知恵が必要になってくると思いますが。たとえインフラが整備されても、時代について行けなくてはどうしようもありません。テレビだけを見るのに60何チャンネルも必要ないし、それよりも経費がかかり負担になってくるのでしょう。地域によっては高齢の方々でもPCを活用し、自分たちの生活の活路を開いているという報道を見聞きしますが。変化について行けない方々のほうが圧倒的に多いのでしょう。
考えさせられます。

今日の工房はぐい飲みを削り仕上げしました。ざっくりと土味を表現することが出来、気分上々です。微妙なタイミング要求される仕事ですが、このタイミングこそがこのぐいのみの全てです。出来る限り柔らかい状態で削るのですが、その道具は木へらであったり、軟鉄であったりと土の状態によって変えるのですが、その道具の接点、摩擦によって色々土の顔が違ってきます。その道具を発明するのも陶芸家の自然に対する観察力だと思います。色々な土があり、色々な道具があり色々な表現が生まれると思います。

ぐい呑みの削り

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「モノ言う作り」

こんばんは。強烈な寒気団が東に移動して、今日はほっと暖かな一日になりました。ここは南に和泉葛城山をいただき、大阪湾に向かって吹く山風が案外寒く身にしみます。その風も今日は治まり、温暖なん静かな一日になりました。
工房は今年になって「原点回帰」をテーマに仕事をしています。目標300アイテムをホームページに掲載しようと頑張っています。

今日は昨日から続いている土で、ぐい呑みを作りました。久しぶりに轆轤で「モノ言う作り」にしてみましたが、かなり気分が入らないと続かない轆轤です。沓型の大きなぐい呑みになりました。面白く挽けたので、今度は徳利に挑戦してみたいと思いす。新酒のおいしい季節、我が家も色々と地方のお酒を頂き、ちびりちびりと徳利で燗をして頂いています。冷で頂くお酒もいいのでしょうが、私は大吟醸といえども少し燗をするほうが気持よく頂くことができるように思います。
明日は片口や徳利を挽いてみましょう。たのしみですね。

「モノ言う作り」

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本年工房は「原点回帰」

新年が明けて今日は初仕事のところも多かったのではないでしょうか。私どもの工房もご多分にもれず今日から仕事にかかりました。特別なことはないのですが今年は原点回帰を意識しながら進めていこうと、昨年末から話し合ってきました。

ここ4,5年は工芸店との付き合いの中、仕事を進めてきました。色々なことを学ばせて頂き、特殊な焼き物を作り続けて参りました。古清水を中心に仁清、乾山と進めて来ました。が、乾山の山を登るには今一つルートを考え直さなくてはならないように感じ始めました。

この辺りはかなり作り手の個人的資質にかかわる問題と思っているのですが、もう一度食器を作る楽しさを取り戻したいと考えました。あまりにこのような「奥の細道」の世界を歩いていると「食器のための食器」にいるように感じています。それはそれでいいのでしょうが、富士の裾野が広大なように、高い山を築くのは土台を大きくとる必要があります。

仁清にしろ、また乾山にしても、彼らの文化意識はあまりにも深く、日本文化の根幹に達しています。単に形を写したところで、そのエッセンスが匂い立つまでには私はまだまだ研鑽をつむ必要を感じました。

しかし決して登れない山だとは感じていません。もっと周辺を眺め、愛でたり楽しんだりする必要を改めて痛感しています。

原点回帰とは私たちが従来持っていた「牧歌的」「民芸的」焼き物をもう一度考えていこうということです。日々の食器からふつふつと湧き出て来る生活の楽しみを、今一度取り戻すことだと思いました。

本年も皆様よろしくお願いいたします。

本年工房は「原点回帰」

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