2009年 3月 の投稿一覧

季節を愛でる器作り

こんばんは。彼岸が過ぎて瞬く間に春が来るように思っていたのですが、ここ何日かは寒さのぶり返しで工房はストーブが放せません。桜の開花も停滞しているように思うのですが皆さんのところは如何でしょうか。散歩コースになっている落合橋に大きな山桜の木が一本有って、手に届く位の距離でいつも観察しているのですが、やはり開花が少し止まっているように感じます。春になると川の勢いも増して、川面に反射する光が眼に眩しくなって来ます。桜が風に揺れ光と交差する陰影を私は一人楽しみにしています。

工房は葵紋平向付の削りを終え、慢幕紋深向こう、格子紋深向こう、ビールカップと紅白椿紋箸置きを素焼き窯に入れました。すたっふMさんが工房に来て、深向こうの鉄絵などをする準備です。乾山陶器は生素地に直接絵付けを施すので絵付け後素焼きをします。

葵紋をアレンジしてマグカップを作っています。新しい挑戦なので興味がわきます。色々なイメージをすぐ形に出来るよう仕組みを変えている所です。「季節の器」というテーマをこれから面白く展開していきたいと考えています。器に季節を盛って楽しむというものは日本人ならではの情緒です。私たちの作る器はそのことが出来る数少ない器だと思います。その意味では使って楽しい思いで深い器をこれからも多く提供できると思っています。季節の変わるスピードに負けないよう、イメージを素早く転写できるよう頑張って参ります。


芙蓉マグ

桜に酔う

こんばんは。今日明日で三月も終わり、いよいよ四月に入って行きます。この何日かは寒い日が続き桜も思った以上に開花が遅れてきました。気温の日格差が大きいと桜は開花を促されると聞きました。この辺りでは何といっても山桜が美しく日に日に色濃くなって、美しさ可憐さに心が洗われます。こんな景色を独り占めしてしまっては申し訳ないので、皆さんお近くにお越しの際はぜひこの山桜を見に来てください。

桜は不思議な花です。これほど心に響く花も珍しい、と云って間近で愛でるような花とはまた違うようで、山々に咲く色とりどりの風光が何とも琴線に響いて参ります。さくやこの花の姫が風に舞って山々に降り立った風情は、日本の四季の中でも初々しい優雅な色気をも感じてしまいます。桜の美しさは近寄り難い高貴な世界を漂わせています。

今日の工房は京焼葵紋平向付の削り仕上げの続きです。今日で終了のつもりが雑用が入り、明日に四枚持ち越しとなりました。午前中に終えてしまいます。これで乾山陶器テスト窯の準備に入っていく予定です。

桜に酔う

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葵紋平向付 ろくろびき

こんばんは。巷はWBCで賑わっていましたが、そう云えばプロ野球も開幕間近でした。大相撲は今日朝青竜が負け白鳳の優勝が見えてきました。また甲子園では高校野球が始まっています。大相撲は大阪場所ということもあり、難波付近は何かと華やいだ雰囲気が漂っています。この20日から近鉄阪神の相互乗り入れで難波から神戸に行けるようになりました。益々関西の野球も面白くなってきます。メッツとヤンキーズを結ぶA列車に乗ってというジャズのナンバーが有りますが、日本版A列車になる日を夢見ています。しかし今年のタイガースはいい材料が出てこないまま開幕を迎えます。何とか昨年の二の前ならないよう応援をして行こうと思っています。いよいよ今年も始まったなあ、という思いです。

工房は昨日の続き葵紋平向付を挽き終えました。難しい轆轤でしたがようやくコツを取り戻して挽く事が出来ました。陶芸の秘伝の一つに水加減をどうするかということがあります。轆轤は特に水加減をやかましく云います。これは学校などでは教えない部分なので、弟子入りしてはじめて教わっていく世界です。師匠の轆轤の準備をまかされて土を練るのですが、何を挽くのか皿なのか壺なのか、それとも湯のみなのか、その作品によって水加減が変わります。また、土によっても加減が変わってしまうので、その感覚が身につくのにかなりの時間を要します。轆轤は水加減と練りがピタリと合えば難しい形でもすんなり挽くことが出来ます。心技体といいますが全てが整えば自然と形がなる様に出来ているようです。自然体ともいいシンプルともいいますが、そこまでの環境を作ることに時間を費やしているのだと思います。

日々の研鑚などといいますがそれは準備をして待つということにも通じると思います。陶芸をしているとこの待つという、準備をして待つこの姿勢に陶芸の深みを感じるのですが、如何なものでしょうか。

葵紋平向付 ろくろびき

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轆轤勘-皿と向付

こんばんは。三月も余すところ一週間になりました。瞬く間に過ぎていきます。卒業式も終わり受験発表で色々と忙しくされている親子さんも居られるでしょう。入学式まで桜が散ってしまわない様と願いますが。絵付け工房は花盛りのようで、うらやましいですねえ。ここもまた桜が散らない事を祈ります。

工房は昨日の続き、京焼葵紋平向付を作っています。皿と言わないで平向付と云っています。皿と向付の違いは色々な理屈があるのですが、ここではこの作品を平向付けで使ってもらいたいと思っているので、皿とは云わないで向付と命名しています。食器には各付けがあって鉢は向付けに使えるのですが、皿は向付けには使えないのです。また皿と向付では形状が違ってきます。皿は見込みが平らで、向付は平らな部分がなく緩やかなカーブを作っていきます。和食器を作るには細かな違いを理解していなければいけません。しかし今時はこんな古い事をいちいち考えて作っている作家もいないでしょう。またこの様な器を生かしてくれる料理人も珍しいのでしょうか、あまりお会いすることもなくなりました。まあそれはそれとして、丁寧に作り続けていくだけです。伝わるものは伝わると開き直っています。今日は轆轤の勘も戻ってきて、気分よく挽くことが出来ました。


京焼 芙蓉平鉢

轆轤勘-皿と向付

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京焼 葵紋平向付

こんばんは。今日はいいお天気で山桜があちらこちらで咲き始め、工房の付近は何か華やいで参りました。山桜は葉と同時に花も咲くので、葉の色合いで色々な文様に見えています。茶の濃いものや白さが目立つもの、薄い萌黄色の葉もあり優雅な世界を演出してくれます。また山桜はソメイヨシノと違って咲いている期間も長く、そして次から次に咲いてくれるので楽しみです。鶯の音がこだまし、川の流れに光が転がり落ち、風が桜を揺らしています。とうとう春がやって来ました。

工房は葵紋平向付に取り掛かりました。呉須と鉄絵で葵紋が描かれています。轆轤挽きが大変難しい作品で勘を取り戻すのに苦労しています。

葵紋は初めに生素地に鉄と呉須で描き、そのところに釘で花弁を彫って行きます。生素地に描くものですから扱いに神経を使います。柔らかなふわふわとした様子を描いていきます。乾山陶器のデザインですがうまく器にマッチすることが出来ました。自信作の一つです。


京焼 芙蓉平鉢

ビールカップの削り仕上げ

こんばんは。春分の日から三連休。今日は中日で朝から清々しい好天気に恵まれました。この付近の山々ではもう山桜が咲き出して来ました。あまり記憶にない早さに驚いています。この天気も今日だけで、明日は春の嵐がやってくるということです。南風が吹き荒れその後寒さが戻ってくるらしいです。山の暮らしはまだまだストーブが放せません。

工房は今日も仕事です。慢幕紋深向こうの削り仕上げとビールカップの仕上げをしました。ビールカップはHPで紹介していますが、今回絵替りで杜若を描いてみたいと思っています。イメージはすっかり出来上がっているので早く焼きあげて更新してみたいと思っています。また瓢箪なんかも面白くデザインしてみたいと考えています。

色々とテストの材料が揃ってきたので、来週にかけて一度耐火煉瓦窯を焚いてみたいと思います。乾山陶器、慢幕紋深向こう、など呉須や鉄絵具のテストが入ってきます。内容が濃いので期待しています。

一つの仕事を進めるのにかなりの時間が掛かります。私の場合考えを詰め込んで焼く癖があるようです。もっと手早くされる方もいるのでしょうが、自分自身が納得するのに時間がかかる様です。いつもながら不器用だと思います。これも自分の流儀なのでしょう。


京焼 ビールカップ

京焼慢幕深向付の削り仕上げ

こんばんは。今日は彼岸の中日、さわやかな日差しの一日でした。末娘の大学の卒業式でもあり、色々と人生の節目を迎えています。三月は別れの季節。出会いがあり別れがあり、どこか寂しい季節です。春の憂いとも言いますが、桜の咲く頃はどこか心が不安定になるのではないでしょうか。

工房へはすたっふMさんが、先日焼き上げた汲み出し、水仙箸置きを取りに来ました。この頃フィットネスクラブに通って、腹筋や背筋を鍛えているそうです。同じ姿勢で絵付けをしていると、どうしても身体をねじった状態で固定されてしまい、知らず知らずに負担が腰に来てしまいます。また神経を使う細かな絵付けばかりで、あまり身体には良くないと思います。私も轆轤で腰を痛め、春先になるとぎっくり腰が出てきます。昨年の4月から整骨院に通ってケアーをしていますが、やはり冬は身体も固くなっていま一つ元気になれなかったのですが。ここ何日かの暖かな陽気で身体も開いて来たのでしょうか、ずいぶん楽な感じをしています。仕事の合間にダンベルを持って、背筋などを延ばすようにしています。気力体力の減退を日々のちょっとしたケアーで筋肉をつけてなくしていけたらいいと思っています。この業界は年を重ねてからが勝負時なので、これからが心身の充実をいかにはかっていくかが仕事になってきます。すたっふMさんはまだまだ若いので色々な可能性があって面白くなってくる頃です。色々な挑戦も身体次第ですので、いいリズムで身体のケアーをしてください。

昨日から京焼慢幕深向付けの削り仕上げをしています。シンプルな形です。轆轤が生きていないと形にならない見た目より難度の高い仕事です。口もとの仕上げが作品の粋さを演出しています。面白い仕事ですが思った以上に時間のかかる作品です。


京焼 慢幕深向猪口

新作「呉須市松紋深向付」轆轤挽き

こんばんは。午後のニュースを聞いていると、関西では今日夏日を更新したということです。桜の開花も聞こえてきました。黄砂と花粉で空が霞んでいます。

工房は午後から昨日焼き上げた窯を出しました。思った様にスッキリと焼き上げることが出来て、汲み出しは手取りのいい重さになりました。素地に釉薬のいい重さが加わり、重くなく軽くもない、土の重さでない釉薬の上品な重量感が出て、汲み出しには最適な重さになりました。急いで絵付けをしましょう。桜は待ってくれそうもありません。

HPに掲載して好評でした「水仙の箸置き」がようやく焼けました。お待ちいただいているお客様も居られ、これも急いで絵付けをしたいと思います。

今日はビールカップの続きと、新作「呉須市松紋深向こう付け」を轆轤挽き致しました。深向こうですがお湯呑みに使ってもらえたらと思い、HPにも掲載したいと考えています。単純な文様に単純な形、轆轤挽きの柔らかなラインが見せどころの、力の試される作品になります。こういう作品はある程度歳を重ねないと味が出てこないものです。少し面白く挽くことが出来ました。楽しみに作って参ります。

「慢幕紋深向付」の見本

こんばんは。今日から彼岸の入りですね。すっかり春めいて今日はセーターなしでもいいくらいのいいお天気に恵まれました。先週よりブログ原稿も書けない忙しい状態が続いていましたが、今日は久しぶりに仕事に集中することができました。昨日からの窯焚きは午後2時に終わることが出来ました。枝垂れ桜紋の汲み出しをなんとか間にあわさなくてはいけません。大いに急いでいます。この陽気では後一週間もすれば花の便りが聞こえてくるでしょうね。絵付け工房も佳境に入って来たのではないでしょうか。桜、桜で満開です。

工房は「慢幕紋深向付け」の見本を轆轤挽きしました。昨年より色々な懸案があって、一つに土の成分が変わったという事がありました。一度小さなテストピースで焼き上げてみたのですが、以前の土の雰囲気から云って地味な感じを受けました。今回思い切って慢幕紋深向こうのテストに使ってみました。この作品は呉須と鉄絵の下絵で構成されています。今までの京焼きとは少し趣が違っているので、この土で合えばいいなあという思いもあります。如何なものか?やってみないと分かりません。年末にもらった耐火煉瓦の窯に、これと乾山陶器を入れて早速焼いてみようと思っています。やっとこの辺りまで、仕事を進めることが出来ました。

春になって身体も軽くなって来ました。新たな作品作りに精出して参ります。

作業風景

京焼枝垂れ桜紋汲出し 削り仕上げ

こんばんは。三月の天候は昨日の様に暖かい日やまた今日の様に寒さが戻ったような日が一進一退しながら、しかし確実に春に向かって歩んでいます。すたっふMさんの絵付け部屋は既に桜が満開の様です。桜の注文はまだまだ続くのですが、こちらの工房はやっと「京焼枝垂れ桜紋汲出し」の削り仕上げに入った段階です。今日は九個仕上げました。削り仕上げは水挽きより数倍時間がかかります。注文は二〇個なのですが作りは三三個にしました。かなり余分を作ったのですが、これが仇になるか、時間がないので心配です。一つの工程に時間がかなり掛かるので、そのところは微妙な計算がいるのでしょう。もう少しおおらかに仕事をしたいものと思っています。窮屈な仕事にストレスを感じているこの頃です。

弥生満月に思う

三月も慌ただしく過ぎていきます。気が付くと月も前半を終わろうとしています。二月は逃げる、三月は去る、なんていうことも聞きますが。毎月10日はメルマガの発信日なのですが新作がなかなか紹介出来ないでいます。この頃の私はどちらかと云えば寡作になってしまいました。以前の様に雑器も作ってみたいと思いながらもその様な時間の余裕もなくなってしまいました。時代が逆転しているのでしょうか。今の私にとって雑器の方が高級になってしまうのですね。手間と値段が不釣り合いのいなって、今の私では雑器にならなくなるのです。

この地で焼き物を始めた思いの一つに手作りの雑器をたくさん提供したい、喜んで使ってもらいたいという思いが有りました。民芸思想の影響も大きく働いていたのでしょう。若さ故健康的で明るく普段にも使える手作りの食器をテーマにして励んでいました。工芸の持っている健やかな一面だと思います。時代がこの精神と合っていたのでしょう。面白く自己実現に向かって進んでいた様に思います。今日も工芸学校の学生さんから工房見学の電話が有りしたが、就職という形では到底物にならない事を伝えました。その子たちを育てる余裕が今の工芸界にはないのでしょうか。どこの窯業地も今はひっ塞状態でしょう。デフレで何を作ればいいのか先行きが見えていない。と云って職人さんはいずれ世代交代をしなければならない。若い人を今こそ育てておかないと今後工芸は太刀打ちできなくなる。私たちも後継者を今のうちに育てたいと希望はするのですが、私たちの条件に合うとなればかなり厳しい選択になることでしょう。それでもスキルを身につけたいというのであれば、どうにかやりくりを考えて必死にならなければやっていけない状態です。それでも何年も掛けて仕事が出来るまでには、相当物を作り込んでいかなければいけません。この様な苦しい工芸界でそれでもやっていこうなんて思う若者は何か使命感のようなものがなければやっていけないと思います。御両親がよっぽど奇特な方でよくよくそのところが分かっておれるか、そんな若者がこの世にいるとは考えられません。砂漠に落とした針に宇宙から糸を通すようにものです。

今の時代はどの世界も専門的でより高度な技術が要求されて来ました。これは一種の篩なのでしょう。諸先輩方の中でも消えていかれた方も多く見かけます。日々より高度なものを開発していかなければ、今の時代到底ついていけなくなります。この時代はまたとてつもなくスピーディーで工芸が持っている牧歌的な時間ではついていけないのが現状です。しかしそこにも生きる道がある様に思うのです。団塊世代の層が薄くなってきたことで、私たちは少し視界が明るく感じられて来ました。この時こそ自分たちの持てる力を振り絞って未来に一歩、進んで行きたいと思っています。

弥生満月に思う

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京焼 枝垂れ桜文汲み出し

午後八時、先ほどから雨が降り始めています。今週は変わり易い天候だそうです。春が一歩一歩近づいている証です。
工房は「京焼 枝垂れ桜文汲み出し」の汲み出しを作りだしました。すたっふMさんが描いている大汲み出しより一回り以上は小さいかわいらしい汲み出しです。新しい作品になります。今年は枝垂れ桜をテーマに、この汲み出しやお湯呑みなどに描いています。桜との空間に春の光や風が感じられる様な器にして行きます。時間と競争しながら今週も張り切って仕事をして行きます。


京焼 桜文小汲み出し

椿紋箸置きの仕上げ

こんばんは。啓蟄も過ぎると景色はすっかり春めいて参りました。光に力強さが増して来ました。山々はまだ冬の様相ですが、光が木々の奥にも射しているので、山の姿に生命を感じています。ジャンパーを着ないで朝の散歩に出かけても、今日は少し汗をかくようになりました。もうしばらくすると感じるもの全てが「春」になっていることでしょう。

工房は朝からお客様がありました。オーダーメイドの「京焼松紋猪口」を取りに来て下しました。すたっふMさんのブログに二三日前に紹介されていました。御本人もブログを見て下さって、すでに焼き上げの様子を確認してくれていました。オーダーメイドをしてくださったお客様はご自分の器が作られて行く工程をブログ等で見ることが出来ます。この様な交流をブログで紹介することで、また新しい企画が生まれてくると思います。徐々にですが、オーダーメイドに力を注いで行きたいです。一つ一つ手渡し出来る事を願っています。

椿紋箸置きの仕上げと化粧掛けをしました。乾山陶器の手順を踏みながら、箸置きといえども手間を惜しまずに丁寧に化粧掛けをしました。一度筆で塗って乾いてきた時にもまた塗ってと、何回も塗り重ねていきます。手間の入った工程ですが、乾山陶器に関して色々と発見することがあり、面白く進めています。これで一度乾山陶器の作業は小休止として、桜紋の汲み出しなど、注文を頂いている器を先行させていきます。

今日はまた桐箱の箱書きをしました。早速送る準備を致しました。

陶芸仲間

こんばんは。今日は金曜日なので陶芸クラブの指導に行って参りました。年度末や雨の影響なのか参加人数は少なかったのですが、昼夜いずれの参加者も熱心に作陶されていました。今日は一人一人に掛ける時間がたっぷり有ったので、陶芸の深いところまで伝えることが出来ました。手作りの面白さが私と共有出来たら、色々な技法を通して作品に対しての心遣いを伝えることが出来ます。
柔軟心という言葉がありますが、たおやかなで柔らかな心がいい作品を作る一番の心なのでしょう。そんな心が出てくるにはやはり人との信頼関係が重要なのでしょう。心と心が通じ会う面白さは掛けが得のない時間となるでしょう。

公民館という地域に根差した公教育の現場ということもあって、地域に開放されていることも大きな要因なのでしょう。20年携わっていますが、延べ人数から言えばかなりの人と陶芸を通して交流してきました。私もこのクラブを指導することで大いに育ててもらいました。若い時には気負いもあって強い指導をしてきましたが、年と共に私も陶芸感が変わってきたのでしょう、指導内容も大きく変化してきました。面白い事に今かなり難しい内容の陶芸をしているのですが、初めての人もそれを素直に受け止めてくれるのです。微妙な柔らかいライン作りなどを指導することは、昔はなかなか相手に伝えきれなかったのですが、この頃は生徒さんもすんなり受け止めてくれるようになりました。

言葉以上にもっと違ったことで、共有している心が伝えられているのだと最近思うようになりました。大事なところです。これは私がいる工房にも言える心だと思うのです。伝えられる心が作品を生む原点だからです。土くれを一ひねりすることに、いちいち心を込めていくことは大変な行為だと思うのですが、作品の重みとなると断然違った意味が出てきます。人それぞれの思いの行為として作品が出来上がってくるのですから、それはひとひねりの地味な作業の連続の中に自分自身を見ていく行為だと思うのです。それは哲学なのです。どうしても私と陶芸をするとそのようになるのでしょう。考える行為を課してしまいます。感覚で作る人にはつらい指導になっているのでしょうか。しかしどの道を歩むにしても、最終には同じ門を通らねば先に進めないと思います。

今日も陶芸の仲間と会えて楽しい時間を持つことができました。有難うございました。

陶芸仲間

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花筏紋四方小皿の注文

こんばんは。昨日に比べ少し穏やかな一日でした。工房は今色々な課題を持って仕事を進めています。乾山陶器も一つですが、従来の古清水と新しいセンスを盛り込んだ季節の器の新作が今どんどんと注文が入って来ました。ゆっくりと構えて仕事はできません。このご時世不景気風で世間はワークシェアリングなどと云って仕事を分担しているのに、一人で抱えきれない仕事をもらっていることに、改めて感謝いたします。

ようびさんから桜の季節だというのに品物が手薄だということで、急いで花筏紋四方小皿を作ってくれるよう注文を頂きました。この四方小皿は季節の花の絵替りで、大変人気の商品です。最初におもだかと瓢箪を描いたのですが、いきなり瓢箪が売り切れて追加注文が入って来ました。それからあまり途絶えることなく注文を頂いたくらいですので、ヒット商品なのでしょう。手ごろさも手伝っているのでしょう。昨年は四季の花を追加しました。冬は椿、春の花筏、梅雨の杜若、夏は瓢箪、おもだかに芙蓉も加えました。秋は定番の菊です。どれも人気で、一つずつ集める楽しみが有ります。

今日は枝垂れ桜紋のお湯呑み、汲み出しの見本が焼けてきました。汲み出しもかなり上品に上がってきたので、人気商品になりそうです。わくわくするような感じを受けました。やはり春は桜ですねえ。今年はどうも早く咲きそうで、仕事が間に合うでしょうか?不安です。

乾山陶器と白化粧

こんばんは。今日はひな祭りです。桃の節句といいますが、季節は節分に戻ったような寒い一日でした。小雪が舞っていました。いつしかみぞれ混じりの雨に変わりました。工房が温まるまでなかなか仕事が手に尽きませんでした。昨日の鉢の削りが残っていたのでそれを片付けて、いよいよ今日は白化粧に取り掛かります。

白化粧は色々な調合が有って、案外どこの家でも秘密にしています。乾山も白化粧にはかなりうるさかったようで、秘伝とまで言わしめています。当時の京焼では化粧掛けは珍しく、仁清の壺に若干刷毛目を施したものがあるくらいです。刷毛目技法は乾山陶器の大きな特徴となっています。一般に白化粧は粗雑な土をコーティングすることが大きな目的なのですが、乾山は白化粧を意匠に使って、今までにない感覚の陶器に仕上げています。この様に化粧を使ったのは、世界でも乾山が初めてではないでしょうか。そういう意味からしても乾山は、陶器の手順にとらわれず自由な発想、斬新な意匠を展開しました。

やはりベースになるのは琳派絵画です。王朝復古的な世界を陶器に展開させていく事が大きな目的になっているので、「白」に何かしら大きな意味を持たせているように思えます。専門的なところから調合を見てみると、大変素地と相性のいい白化粧を使っています。刷毛目を施すタイミングも素地が少し乾いた状態でされています。刷毛目が何気なくやんちゃに塗られていますが、実はこの塗り方はかなり手間が掛かっています。

今回新しくこの為に調合した白化粧です。思った様な刷毛目が出てくれればいいのですが、土との相性もあって乾燥時に剥がれてしまうことも間々あります。これからが一つずつ手探りで進めていく、面白いところでもあります。

今日の化粧は思った様に素地に乗ってくれたと思っています。

乾山陶器と白化粧

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「乾山以上に乾山」

こんばんは。弥生三月、ようやく寒さともお別れと思っていましたが、今日のお山は冬に戻ったようで足もとからじんわりと冷え込んで来ました。工房は午後から一つ取材が入っていました。大阪JAバンクが発行する季刊誌に載るようです。先週金曜日の予定が雨で延期となり、今日となりました。天候も晴れてくれて写真もスムーズに進められたようです。大阪市内から来るとやはり山間は寒く感じるのでしょう。四時を回るとストーブ一つでは間に合わなくなりました。

取材と同時にお客様も来て下さって、バタバタと気ぜわしい一日でした。先週ようびに送った見本が帰ってきて、すたっふMさんとの打ち合わせも重なってしまいました。月替わりの第一月曜日です。今月の仕事も季節と競争になりそうです。

夕方の5時には皆さんも帰られようやく轆轤に乗ることが出来ました。乾山陶器の続き、削り仕上げです。一日いちにちと乾山の事を考えているので、自分なりに乾山を捉え出して来ました。今週には一度窯に入れたいと思っています。明日は白化粧を作って器に掛けたいと考えています。今夜は化粧のイメージを作っていきます。資料を見て感じるところを点検していきます。当時の陶工達が、いかにセンスが良かったか、研究を重ねていくとよく分かります。京都に地方から腕のいい陶工が集まって、都の洗練された文化を吸収し、かなりの自信を持っていたのでしょう。意識の違いを感じます。古清水もそうですが、この陶工の自意識の強さがあって初めて出来た陶器だと感心しています。

私が今問題にしていることは、その意識の高さに私たちも同じように反応しているか、ということです。私はこの様に思っています。「乾山以上に乾山」を作ってみようと考えているのです。乾山窯の陶工たちが感心する陶器を作ってみたいと思っているのです。