2008年 4月 の投稿一覧

画期の4月

4月23日(木)昨日から用意した木積の宮下さんの筍をお土産に久ぶりに曽根崎にある工芸店様に行きました。

三時近くに着きましたが、いつも止める駐車場が改装か、ひょっとすればつぶれたのか?昨年末にプリペードカード一万円を買ってしまったので、え!という思いです。悔しいです。
先客さんが居られましたが、懐石料理店の今村さんでした。お会いするのは初めてですが、筍の件で宮下さんのルートをお世話させてもらいましたので、いきなり親しく真木さんから紹介されました。

本年の筍はこの20日からの一週間が最盛期で今が最高のものだそうです。なかなかこのタイミングで持って来れないのですが、本年は一番いい物を持って来れました。
真木さんも今村さんも大変お喜び下さいました。今度今村さんのお店に連れて行って下さるそうで、楽しみが増えました。

大阪はおいしい物がおおくて食に関してはやはり日本一と感じています。口の肥えた方々が多く、お金を出したら出したなりに、また安くても味は落ちないお店でないとやっていけない土地柄ですね。
小さい頃から父によく難波に連れていってもらって、ここはおいしいのどこのお店は安いのとうまいもん巡りを楽しんだものです。
大阪で独立した限りはうまいもん食べさすお店に食器をつこてもらいたいと思ったもんです。

ようびさんはそんな食器一筋に生きてきたお店で大阪ならではの文化だと思います。

仕事の話になりますが乾山陶器の方向に行こうというお話になってきました。古清水の写しや仁清ものを3年やってきました。がいよいよ乾山陶器に入っていこうとなり、土のテストからやって行こうと思います。
乾山展を観てこの3年積み重ねてきた物がいい勉強になっていることを実感しています。
新たに挑戦する意欲がふつふつと出て参りました。陶芸は一朝一夕に思ったようにはなかなか行かないものですが、こつこつ積み上げていくと色んな出会いや発見があって楽しいもんです。まあ、これが私の人生でしょうか。

面白いので伏原窯奮闘記乾山写しなるものでも連載いたしましょう。

画期の4月

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乾山展に行ってきました。

京都文化博物館の「乾山の芸術と光琳」展を観て来ました。

緒方乾山が京都 仁和寺の奥、鳴滝泉谷に窯を築いたのは、元禄10年(1699)のことです。昭和初期にその窯跡が発見されて以来、正式な発掘調査はされることはなく全容は長く謎のままでした。
平成12年(2000)に発掘調査団が結成され、5年間に及ぶ科学的調査がされ、結果予想をはるかに上回る種類の遺物が採取されたそうです。

今回の展示はその成果を踏まえ、新しく浮かび上がってきた「乾山焼」を提示する事が目的だそうです。

私は今回のこの展示会で色々な疑問が少しつですが分かってきました。展示会場にかなりの数の陶片が置かれてありました。また、乾山が使用したとされる窯が再現され、また焼成のビデオも流されていました。大変興味深いものでした。

乾山陶器のナイーブなマチュールやディティールがどの様にして出てくるのかが垣間見れたように思いました。
最高の文化ネットワークを持ち、陶画一等の世界に果敢に挑戦していった芸術エネルギーを、こんなにも香雅で日本の美を余すところなく表現出来た陶芸は奇跡のようにも思えるのでした。
驚くほどに小さい窯(錦窯)で丹念に焼上げたのでしょう。それは焼物という物ではなく、土の造形を借りてそこに絵画を転写した立体絵画の様にも思えるのでした。

kenzanten2.jpg用から離れても書、絵画を重んじそれを楽しんで受け入れていく土壌があったればこそだと痛感しました。

 

日本古来の伝統文化に新しい花が咲いた瞬間を見たようにも思えました。

三条川端から西に、久し振りに歩いてきました。さすが京都です、多くの着物をめした女性を目にしました。少し花冷えの一日でした。

桜のこころ

山桜が色とりどりの姿で咲き誇っています。これから1週間はみごろですねえ。店長日記を読まれた方は、どうぞ御越し下さい。

年々この付近の桜は美しさを増しています。渓谷に咲く桜は、こんなに種類があるのかと驚きます。山桜はソメイヨシノと違って葉と伴に花も咲かせますが、葉の色が大変豊富で濃い海老茶もあれば、うすき色もあり、また花の形も個性的一つとして同じ形はありません。またソメイヨシノは咲いたかと思えば散り際が早く、それに比べこの山桜はまだ長く咲いていてくれます。

 

私も桜が本当に好きになったのも、だいぶん歳を重ね鑑賞できるようになってからです。
花冷えと云いますが春の嵐がやって来ると、こんなにも待ち遠しくやっと咲いたぞという喜びも束の間、この一塵の風と共にすっかり散ってしまうのですから。
あまりにも儚く、時の移ろいにこころが追い付かぬまま、桜は散ってしまいます。

遠い昔この様なお話を聴かせて頂いたことがあります。「諸法実相の舞い」と題された法話ですが、少し紹介いたしましょう。

 昔、中国の楚の国の山奥に一人、庵を結んで住む僧がいました。朝昼夜と一切経を紐解く毎日でした。或夜、「法華経」を読誦していると、人のいない山中に人の気配がします。表に出てみたが誰もいません。そのことが二夜続いた。三日目の夜、僧の前に美しい女人が現れました。彼女はじぶんが草木の精であることを仄めかし、経を聞いた礼を述べて、僧の前で次の詩(うた)を謡い、舞った。

「それ、非情の草木と雖も、真は無相真如の体なり。一塵法界の心地の上に、雨露霜雪を見ずとも一念一枝の花を献げ、御法(みのり)の色を現わす時、一華開ける春の朝(あした)より、日輪月輪の時を超え、終わりなき色に染める心まで、諸法実相の隔てなし。」

なんとも美しい光景でしょうか。春の夜のかがり火に舞う能のようで、幽玄な世界に誘われます。

春、桜を観るとこの情景が脳裏に現れ、時の移ろいの中でしか見せない「諸法実相」の真の姿が感じられます。

桜のこころ

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静寂のひと時

金曜日から、3日間おやすみを頂き京都に出かけて参りました。鞍馬寺からまだ北へ4キロ程行き、百井分かれで山道に入っていきます。また、このルートともうひとつに八瀬大原から回るルートとがあります。
4日、川端通りの桜は五分咲きでした。北に行くほどに蕾は固く、山のこぶしももう一歩という感じでした。

琵琶湖に流れる安曇川の上流に、かれこれ二〇年は行く様になりました。静寂を求め、自然の霊気に心身を包み、瞑想をしてきます。こころを開放してきます。
今年は、話によれば三月の上旬は雪で通行が大変だったそうですが、今年は中旬過ぎから、あっという間に雨や春一番で雪が瞬く間に無くなったそうです。

世間から断絶された初春の山間で、静かな時間を持つことが出来ました。

ここは京都北山修道院という万教を超えた「心のふるさと」、誰もが帰って来れる憩いの宿として存在しています。

川のせせらぎを聞き、自分を見つめることにたっぷりと時間を費やして参りました

静寂のひと時

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