うつわ楽し
日々の食器を作り生業として、もう三十年がたちました。数えきれない器を作って来ましたが、器の魅力は尽きません。
器の面白さは、器の向こうに人びとの暮らしがあると云うことに尽きると思います。お湯のみひとつにその人の大きく言えば、人生が見えるような気が致します。
冬、一人静かに飲むお茶は何を語ろうとするでしょうか?その時の友となるお茶碗は、さて、如何なものでしょうか。
色々な思いの中で、器は経めぐっていくでしょう。器は生きているとよく云われますが、人々の間、時空を旅しながら器もまた育っていくのでしょう。
器にいろいろな想いを込め、その時その時の伴侶になればと願っております。
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陶芸の道に入って一番最初に出会ったのは李朝の陶器群でした。屈託のないのびのびとした轆轤に、自由奔放な刷毛目は私のこころと捉えて放さなくなりました。この世界なら自分の気持ちを載せることが出来るのでは、と大変勇気をもらった事を思い出します。
大阪の中の島に東洋陶磁美術館があります。すばらしい李朝の陶器がたくさん陳列されています。
二十数年前,まだ独立し間もないころ、よくここに通わせてもらいました。ゆったりと大らかな、まるで時を超えたような轆轤で挽き上げられ花瓶を見ながら、自分のどこを突いても到底これは挽きこなせないという思いになりました。
薄く掛けられた長石釉に弱い還元がかかり、うっすらと青みの帯びた器体は色めかしくもありました。
李朝陶器の一番似合う季節は、やはり秋でしょうね。季節とともにこれから陶器のお話をしていきます。
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李朝白磁に長く魅せられていました。
もう二十五年も前になりますが、韓国の窯場や博物館を巡る旅に参加しました。ソウルオリンピックの二年前ですから、まだまだ田舎に行けば、電気も無いところも当たり前でした。秋だったのでコスモスが美しく、その脇でヤギが草を食んでいました。なんとも美しく懐かしい光景でした。
この旅で何か自分の李朝観が変わりました。端的に云えば自分の李朝は大変観念に陥っていたように思いました。ホテルのロビーで見たそろばん型の白磁の壺が、いとも容易く目の鱗をはがしてくれました。
空気のせいでしょうか。それは日本で見る白磁とは全く違って見えるのです。半島の秋の透明な空気のせいかもしれない、がやはり全く日本では見たこともない白でした。
李朝白磁は世界でも類のない独特の色をもっています。少し青みがかった、といって景徳鎮の様な青沈(いんちん)でもなく、物哀しくそして温かく、その様に日本では見えるのです。
しかし、それはあくまでも日本で見る李朝白磁のことで、私が見たそれは、そんなこちら側の事情などとはトンと関係なく、そこで当たり前に生まれたままの、何もまとわり付いていない素朴な「白」でした。
下の作品は、李朝白磁をベースにデザインされた伏原オリジナルのマグカップです。5年来の人気作品のひとつです。
朝、お土産で頂いたハワイのコナコーヒーを、このマグで頂くのがこの頃の日課になりました。端反りされた器は飲みにくいとされていますが、口元に微妙な返しがされています。轆轤の妙味、作り手の使い手への想いです。

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まだまだ轆轤が覚束ない頃、よく手ひねりで扁壺を作りました。そこにカオリン立ての自前の化粧土を刷毛で塗り、山から採取した含鉄土石、鬼板や黄土でこれもまたどうにも稚拙な絵をパタパタと書きなぐった調子で、李朝を借りてきました、って言いたいのでしょう、心底自分は何をやりたいのかも掴めないまま、まねごとだけでの表面李朝で終わってしまっていました。
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昭和50年、二十歳になって静岡県森町の森山焼中村陶吉先生の弟子に入らせて頂きました。伝統的な窯元でしたが、そこで取れる土を頂き、手ひねりで扁壺を夜恐る恐る作り、自前で調合した朝鮮カオリン立ての化粧土を、日本画に用いる優しい刷毛で、塗ってみました。なんとも言えない嬉しさが込み上げて来ました。少し黄味がかった化粧土が、しっとりと全体に施された美しさに心がときめきます。静かに時間が過ぎて行く姿がはっきりと分かるのです。
やきものが持っている優しい、癒しに満ちた時間です。先生はこの時間のことを「時間のたまり」と表現されていました。
下の写真はその時の作品です。今も大切にしている「時」の結晶です。

